アーセナルのビルドアップ戦術を徹底解説|アルテタが変えたガナーズの攻撃哲学
アーセナルのビルドアップ戦術を解説|アルテタが変えたガナーズの攻撃哲学
この記事はこんな人向け:アーセナルの試合を観てパスの流れが気持ちいいと感じた方、「偽SB」って何?と思った方、子供にサイドバックの役割を説明したいコーチの方。
プレミアリーグを観ていて、「アーセナルは見ていて気持ちいい」と感じたことはないだろうか。後ろからていねいにパスをつなぎ、サイドの選手が縦横無尽に動き回り、気づいたら相手ゴール前まで攻め込んでいる。それがアルテタ率いる現在のアーセナルの姿だ。
かつてのアーセナルといえば、「インビンシブルズ」と呼ばれた2003-04シーズンのプレミアリーグ無敗優勝や、ティエリ・アンリらスター選手を擁した黄金期が思い浮かぶ。しかしその後は長い低迷期が続き、タイトルから遠ざかる時代が長く続いた。そんなアーセナルを蘇らせたのが、2019年末に就任したミケル・アルテタ監督だ。ペップ・グアルディオラの薫陶を受けたスペイン人指揮官は、マンチェスター・シティで学んだ最先端のポゼッション・フットボールをエミレーツに持ち込み、チームを再び欧州屈指の強豪へと押し上げた。本記事では、アーセナルのビルドアップ戦術の仕組みと魅力を、戦術的な観点からわかりやすく解説していく。
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アルテタ就任後のアーセナルの変化
アルテタが指揮を執る前のアーセナルは、方向性が定まらないチームだった。エメリ政権下では守備が安定せず、長年チームを率いたアーセン・ウェンガー時代の遺産を活かしきれないまま、プレミアリーグでトップ4を争うのが精いっぱいという状況が続いていた。
アルテタ就任後、最初の1〜2年は移行期だった。戦術的な土台を作りながら選手を入れ替え、チームのスタイルを少しずつ構築していった。転機となったのは2022-23シーズンだ。前半戦を首位で折り返し、プレミアリーグ制覇まであと一歩と迫った。惜しくも優勝は逃したものの、アーセナルが本物の優勝候補であることを世界に証明したシーズンとなった。
この変化を支えた最大の要因は、チームのプレー原則の明確化だ。アルテタは「後ろから丁寧につなぎ、ボールを保持しながら主導権を握る」という哲学をチームに徹底させた。ただ単にポゼッション率を高めるだけではなく、ボールを持ちながら相手を動かし、スペースを作り出す「能動的なビルドアップ」を目指している。これがグアルディオラのマンチェスター・シティと同じ思想であり、現代フットボールの最前線に立つ戦術だ。
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アーセナルの基本フォーメーションと可変システム
アーセナルは基本的に4-3-3をベースにしているが、試合局面ごとに大きくフォーメーションを変化させる点が最大の特徴だ。
| 局面 | 形 | ポイント |
|---|---|---|
| ビルドアップ時 | **3-2構造** | CB+SBで3枚、中盤2枚で計5人が安定保持 |
| 攻撃時 | **3-2-5** | ウイングが幅を取り前線5人で押し込む |
| 守備時 | **4-4-2** | 中央をコンパクトに締め、外へ追い込む |
この"可変システム"によって、相手は一つの守り方では対応できず、常に判断を迫られる。データとしても、アーセナルは1試合あたり15回以上の連続パスシーケンス(長いパスの繋がり)を記録しており、これはプレミアリーグのトップクラスの数字だ(Squawka, 2025)。
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アーセナルのビルドアップの仕組み
後ろからつなぐポゼッション志向
アーセナルのビルドアップの出発点は、必ずGKもしくはCBからだ。相手がプレスをかけてきても、慌てて大きく蹴り出すことはしない。GKのラヤはパスビルドアップが得意なタイプで、CBのサリバやホワイトと連携しながら、後方から落ち着いてボールを動かしていく。
このとき重要なのが「三角形の形成」だ。常に近い距離に複数のパスコースを作り、どこにボールが来ても次の選手がサポートできる配置を維持する。相手がプレスに来れば、その動きに合わせてパスコースを切り替え、プレスを回避しながら前進する。これを繰り返すことで、相手の守備陣形を徐々に崩していく。
一見すると「ゆっくりしたサッカー」に見えるかもしれないが、実際にはプレスをかわすためのプレースピードは非常に速く、選手全員のポジショニングの精度が求められる高度な戦術だ。一人でも判断が遅れたり、ポジションがずれたりすると、プレスを受けてボールを失ってしまう。それだけ全員の戦術理解と技術が必要なサッカーといえる。
サイドバックの役割の革新
アーセナルの戦術で最も独創的なのが、サイドバック(SB)の使い方だ。一般的なサッカーでは、SBはサイドを上下に走り、クロスを上げることが主な役割だった。しかしアーセナルのSBは、それとはまったく異なるタスクを担っている。
アルテタが導入したのは「インバーテッドSB(偽SB)」と呼ばれる役割だ。ボールを保持した際、SBは外側ではなく内側のハーフスペース(CBとSBの中間エリア)や、さらには中盤ラインの位置まで入り込む。これにより、実質的に中盤に数的優位を作り出すことができる。
代表的な例がベン・ホワイトだ。右SBとして起用されるホワイトは、攻撃時に中盤の底に近い位置まで絞り込み、ゲームメイクに関与する。これによって右サイドのスペースが生まれ、ブカヨ・サカが内側と外側を自由に使えるようになる。左SBのジンチェンコも同様で、ゲームを読む能力が高く、中盤でのボール循環を担う。このSBの革新的な使い方こそが、アーセナルのビルドアップを他チームと一線を画すものにしている。
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アーセナルの攻撃パターン
サカとマルティネッリの役割
アーセナルの攻撃を語るとき、ブカヨ・サカとガブリエル・マルティネッリの名前を外すことはできない。右サイドのサカと左サイドのマルティネッリは、いずれも内側に切り込むタイプのウインガーで、サイドライン際だけでなく中央方向への動きを多用する。
サカの右サイドでのプレーは特に秀逸だ。ドリブルでDFを引きつけ、タイミングを見てカットインからシュートを打つか、内側のハヴァーツにはたいてコンビネーションから崩すか、あるいは外側のホワイトとの連携でサイドを突破するか。選択肢が多く、対峙するDFは非常に対応が難しい。
なぜサカがこれほど止めにくいのか?それは「外も内も同じ精度で使える」からだ。右サイドで幅を取ることで相手SBを外に引き出し、その背後にできたハーフスペースにハヴァーツやライスが走り込む。サカ1人への対応が中央にスペースを生む——この連鎖が、アーセナルの攻撃を"仕組みとして強い"ものにしている。サカの左足から放たれるカーブのかかったシュートは、プレミアリーグのGKにとっても脅威だ。サカとフォーデンの比較記事は別記事で詳しく解説しています。
マルティネッリは推進力とフィジカルを活かした突破を得意とし、縦への加速でDFを置き去りにする力強さが魅力だ。ただし内側への動きはサカほど多くなく、縦方向への仕掛けからのクロスやシュートが主な攻撃パターンとなる。
トップ下の創造性
アーセナルの攻撃に厚みをもたらすのが、トップ下やインサイドMFの位置で起用される選手の創造性だ。カイ・ハヴァーツは本来CFだが、アルテタのもとではより低い位置からゲームに関与するスタイルに変化した。長い手足を活かしたポストプレーや、縦パスを引き出すランニングでビルドアップのつなぎ役になりながら、得点機には自らフィニッシュに持ち込む万能性がある。
中盤ではデクラン・ライスが攻守両面でチームを支える。守備的MFとして相手のカウンターを摘みつつ、ビルドアップではCBと並ぶ位置まで降りてボールを引き出し、前線へのパスを供給する。ライスの加入によってアーセナルの中盤の強度は格段に上がった。
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アーセナルの守備組織
攻撃的なイメージが先行するアーセナルだが、守備面でも非常に組織的だ。アルテタが重視するのは「ボールを失った瞬間のプレス(ゲーゲンプレス)」と「整った守備ブロックの形成」の両立だ。
ボールを奪われた直後、アーセナルの選手たちは素早く周囲の選手を包囲してボールを取り返しにいく。これがうまくいけば相手陣地に近いエリアで守備でき、カウンターのリスクを最小化できる。一方、プレスが届かなかった場合は素早く自陣に戻り、4-4-2の守備ブロックを作って相手を待ち構える形に切り替える。
CBのウィリアム・サリバはこの守備組織の要だ。カバーリングの範囲が広く、1対1の強さも持つ21世紀のCBの理想形に近い選手で、アーセナルの守備を最後尾で引き締めている。
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データから見るアーセナルの強さ
戦術の話をいくら並べても、「で、実際どうなの?」という疑問は残る。数字で見てみよう。
直近シーズンの参考データ(最新値はFBref等でご確認を):
| 指標 | 数値 |
|---|---|
| 得点 | 約60前後(リーグトップ水準) |
| 失点 | 約22前後(リーグ最少クラス) |
| 平均得点/試合 | 約2.0 |
| クリーンシート数 | 14試合前後 |
攻撃も守備もどちらも数字に出ている。「戦術の完成度が高い」という評価は、こうした数字が裏付けている。
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セットプレーという隠れた武器
近年のアーセナルで見落としがちなのが、セットプレーの強さだ。コーナーキックやフリーキックからの得点が多く、しかもそれが"偶然"ではなく戦術的にデザインされている。ライスやサリバのような空中戦に強い選手を前線に送り込み、相手の守備ブロックを崩すパターンを複数持っている。プレミアリーグでセットプレー由来の得点数がリーグ上位レベルに位置しているのは、こうした徹底した準備の成果だ(Coaches' Voice, 2025)。
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弱点と課題
戦術的に洗練されたアーセナルだが、弱点がないわけではない。最大の課題として長年指摘されているのが、「重要な試合での決定力不足」だ。
2022-23シーズンのプレミアリーグ優勝争いでは、後半戦に大事な試合でゴールが決まらず逆転を許した。チャンスを作れてもフィニッシュの精度が落ちると、勝点を取りこぼす試合が続いてしまう。これはアーセナルが長年抱える歴史的な問題でもある。ビッグゲームでの勝負強さ、タイトル獲得に直結するメンタリティをどう育てるかが、アルテタの次の課題だ。
また、ビルドアップ重視の戦術ゆえに、相手のハイプレスに対して自陣でボールを失うリスクも常に抱えている。引いて守る相手に対しても、ゴールをこじ開ける崩しのバリエーションが課題として挙げられることがある。プレミアリーグの仕組みについては別記事で解説しています。
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アーセナルのキーマン
サカ・ライス・ハヴァーツなど
ブカヨ・サカ(右WG) — アーセナルの中心選手であり、エースナンバーを背負う。右サイドのあらゆるプレーをこなせる万能性と、ここ一番での勝負強さが際立つ。イングランド代表でも不動の主力だ。
デクラン・ライス(MF) — 2023年夏に当時のイングランド人選手最高額でウェストハムから加入。攻守両面でチームを引っ張るエンジン役で、ボール奪取能力と縦パスの精度はプレミアリーグ屈指だ。
カイ・ハヴァーツ(FW/MF) — チェルシーで苦しんだ時期から、アーセナルでようやくベストパフォーマンスを取り戻した。CF起用とインサイドMF起用をこなせる柔軟性がアルテタの戦術にはまっている。
ウィリアム・サリバ(CB) — フランス代表の中心CBで、対人・カバーリングともに世界屈指と評価されるディフェンダー。まだ20代前半でありながら、すでにアーセナル守備の柱となっている。
ガブリエル・マルティネッリ(左WG) — ブラジルから16歳で加入した生え抜きで、縦への突破力と献身的なプレスが持ち味。サカとの両翼は攻撃的でスピーディーな印象を与える。
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まとめ
アルテタ就任以降のアーセナルは、戦術・チーム作り・選手補強のすべてにおいて明確なビジョンを持ったクラブへと生まれ変わった。後ろからつなぐポゼッションサッカー、インバーテッドSBによる中盤の数的優位、サカやマルティネッリのサイド攻撃、そしてライスとサリバによる攻守の安定感。これらが有機的に組み合わさることで、見る者を惹きつけるダイナミックなフットボールが生み出されている。
課題として残るのはタイトルへの最後の一歩だ。戦術的な完成度は世界最高水準に近づいているだけに、あとはビッグゲームでの決定力と勝負強さを身につけることができれば、プレミアリーグのトロフィーが手の届く場所にある。アーセナルが「インビンシブルズ」以来の栄冠を取り戻す日が来るとすれば、その中心にはこの戦術の完成度があるだろう。
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コーチとして正直に言うと: アーセナルの「SBが内側に絞る」動きは、最初見たとき「これ少年サッカーでも使えるじゃん」と思いました。「サイドバックは端っこだけにいなくていい」という発想を植え付けると、子供たちのパス回しが一気に多彩になります。試合映像でホワイトの動きを指して「ほら、真ん中来てるでしょ?」と見せると、子供たちの目が輝く。言葉で100回説明するより、映像1本のほうが圧倒的に伝わります。個人的には、アーセナルの試合は少年サッカーの教材として最高だと思っています。「幅を取る」「中央を締める」という基本を意識させるだけで、試合の見え方が変わった子を何人も見てきました。